美術は美しさを残す術を教えてくれるか

Last-modified: Tue, 21 Mar 2017 10:34:33 JST (2598d)
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投稿者:東風

 ここでは、平面絵画を趣味とする筆者の立場からテーマについて私見を述べるものとする。
 始めに、芸術において「美しさ」を定義する事は出来ない。
 芸術、美術という名称に対して文章上矛盾が生じるが、そもそも芸術という言葉、ひいては概念が生まれたのは西洋においてすらおよそ18世紀頃の近代になってからである。
 つまり、黄金に彩られた古代エジプト、現代においてもその影響を色濃く残す古代ギリシア、ビザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンスといった華々しい美術史を彩る時代の人物たちは芸術家(アーティスト)ではない。彼らは為政者やオーナー、バイヤーというパトロンに雇われた職人であり、オーダーに従って技術による生産業を営む者たちだった。
 絵画の起こりは祈りや信仰に密接に関係する。狩猟の成功や豊穣の祈願から動物を壁に描いたのが始まりだとされている。その後の古代エジプトやビザンチン美術は、宗教と関係している為にルールが存在した。その目的も前述したように、ピラミッドの壁画は死後の世界へ仕事をする奴隷を連れて行く為、写本の挿絵などは文字の読めない信徒に神の威光を理解させる為などである。芸術の為の芸術活動は、後世に下り、絵画や美術品が王宮や教会から離れ民衆に移り行く中で、職人から脱却しようとする動きが活発になった頃から始まる。(厳格なルールが存在した古代エジプトとは違い、ギリシアやローマ、教会美術では職人なりの試行錯誤を行う者も勿論居たが)
 では、近代になり職人から芸術画家へと移り変わった者たちは、美しいものを描くために筆を振るっていたのであろうか?
 ここで筆者が今も心に留めている恩師の言葉を借りたいと思う。
 「芸術にバイエルは無い」
 小学校の図画工作で教師の好みによって植えつけられた「紙に描かなくてはならない」「絵の具を使って描かなければならない」「楽しいもの、好きなものを描かなければならない」そういった凝り固まった固定観念を打ち砕かれた瞬間だった。やってはいけないことなどないし、苦しみの末に作品を生み出してもなんら構わないのだ。
 芸術画家たちは常に描きたいものを描く為に感覚を研ぎ澄まし、世間や自身の内面へ挑戦し続けた。それは外世界ないしは内世界に対する感受性であり、その経験を昇華して持ち得る技術と新しい技法の全てで平面世界に描き出すという生命活動だった。
 だがそれらの挑戦にはしばしば世間の批判が付き纏った。絵画は視覚という器官から強く言葉にし辛い方法で個々人の価値観を容易く揺さぶり、時に打ち砕くからである。黒田清輝の裸体画の大作である朝妝などは当時社会論争にまで発展したし、ジャクソン・ポロックは「立て掛けた画面に筆を置いた時点で西洋のパクリだ」と床に置いた画面に塗料をぶち撒け「子供のイタズラ書きのようだ」と批難された。(筆者が初めてこの話を聞いた時は、自身の想像力の浅さを恥じ入ると共に、暴挙ともいえるその挑戦に心から喝采した)
 ではその時に批判と共にあり、時に作者の存命中は見向きもされなかった絵画たちが、現在芸術として高く評価されているのは何故か。それは作者は死んでも作品は残り続けるからであり、それらは後年再発見され、また再評価されるからである。
 絵画はただ美しく存在するのではなく、作者の内面の闘争の末に生み出されたものが、時を越えたコミニュケーションツールとして今作品の前に居る私たちに美しいと思わせる。絵画の美しさは、鑑賞者の感受性の中に存在するのである。

 最後に、余談ではあるが著者自身の外世界と内面の変化の中に見る美しさについて語ろうと思う。
 それは、光と空気でできている。
 光の波長と三原色の理論については割愛するが、そも色彩は光でできていて、夜は暗いのではなく限りなく色彩が黒に近づいているのである。 
 真冬の雪が降り積もり風も凪ぎ、全ての音がなりを潜める深夜、まるで明け方のような明るさに誘われて外に出ると、満月に照らされて山間は神秘的な藍色に染まり、空は時折月を横切る薄雲の水分に乱反射して虹の七色を煌めかせていた。地の雪は月と競うように青白く光を放ち、山々は複雑な濃紺と青を織り交ぜ、遠く山際の工場の橙色の電灯は青と銀に染まった世界を優しく演出している。底冷えの冷気がそれらをぎゅうっと抱き締め、このまま銀世界に飛び出し雪の中に大の字に包まれて、自分も青に染まれたらどんなに満たされた気持ちになれるだろうか。
 主なしとて春の訪れを一番に謳い上げるのは梅の白と紅である。一瞬の風にさらわれて汗ばむ陽気に気付く頃には、真打ちとばかりに桜の薄桃が色を濃くした青空を舞い上がる。緩やかに流れる川の畔には奥ゆかしく小さな水色の花がつくしやタンポポと共に蝶の旅路を見送っている。太陽に愛されたような菜の花の黄色を横目に気まぐれに蝶を追いかけてみると、ふとした木陰のひやりとした冷気に冬の名残りを見つけたようで、肺いっぱいに吸い込んだ空気の甘い香りで時間の流れを思い出す。
 蝉の鳴き声にメロディがあると最初に言ったのは誰なのだろうか。ガラス製の風鈴、貝殻や珊瑚でできたウィンドチャイムのチリチリカラコロという音楽の中で冷えた床に寝転がって目を瞑ると、水の中のひとつの石ころになったような気がする。京都の夏はとにかく水が重い。湿度が7割以上ということは、もう水の中にいると言って過言だろうか。色彩の彩度とコントラストが激しく、この世全てのものが自分は生きていると主張しているようだ。空の青さ、雲の白さ、緑の若々しさが目の中に飛び込んできて、まばたきの度に彼らの生き様にカシャリとシャッターを切る。まだ幾許かの涼しさが残る早朝、青色や青紫、赤紫のアサガオが規則正しく蓄音機のホーン形の花を開くのをご苦労様ですと眺めながら、君は歌わないのかいと思ったりする。
 残暑の熱気と、遠くからゆっくり歩いてくる初冬の気配に気付く頃は何となくもの寂しい。田舎の四両編成の電車にガタゴトと揺られて、窓ガラスに頭を預けていると、トンネルを抜ける頃に彩り豊かな山々が幕を上げるようにして登場してくれる。鮮やかな赤、黄、緑と河の共演は良質な振袖の絹の滑らかさを思わせる。私も平安一の色男に神代を引き合いに大袈裟な句を贈られたいものだ。お気に入りの寺社の閉館間際の人のいない庭で、ひとり年月を経て艶々と滑らかな木板の床に座りながら、ここで時間が止まって、ずっとこの景色を眺めていたいという気持ちと、郷愁のもの哀しさに膝を抱えて、随分と高く薄くなった空から夜の藍色が落下してくるのを迎え入れる。
 世界は美しい。こんなに美しい世界を誰がデザインしてプレゼントしてくれたのだろう。ハッと気付いて紙とペンを持って走り出しても光の早さには追いつけず、諦めに似た気持ちで矮小な自分は呆然と立ち尽くしたまま酸素を吸って二酸化炭素を吐いている。それでもやはり描きたいのだと思う。飛ぶように過ぎ去っていく毎日で何を後世に描き遺せるものかと自問しながら。