うごくことわり、あやのみち

Last-modified: Sat, 25 Mar 2017 06:55:33 JST (2595d)
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投稿者:下弦

江戸時代に生きていた、とあるおじさんが言いました。
  ”B 物が入り混じる様子を「文(あや)」という。
  複雑に組み合わさり、かつ整っている様子。
  古代には、この「文」が「道」だった。”

“あや”は、“あやにしき”のあや。綺麗に織り成された模様です。
この考えは、当時の常識をひっくり返したものとして流行しました。……どういうこっちゃ?

この時代のもっとも主流な考え方というのは、こんな感じでした。
  ”A 自然には法則がある。人間にもある。人間はこう!という性質、つまり 「理」が。
  それは誰にでも具わってるが、隠れて見えにくい。しかし、「理」をマスターすれば、何事にも動じない、万能な善い人間になれる。
  どんな人も努力して自分を変えれば、必ずそうなれる。大昔の人だって達成してた。
  そうすれば連鎖的に、周りの世界もよくなっていくだろう。”

この考えが日本に入って来たのが鎌倉時代くらい。当初は中国語がわかる一部の人(僧とか)が片手間に勉強してましたが、徐々にめんどくせぇ世間に生きなければならない一般の人たちが、趣味と実益半々くらいで学び始めます。

そういう状況で登場したのがこのおじさん。
  ”B 米はいつまでたっても米。豆はいつまでたっても豆。米は米として、豆は豆として役に立ち候(そうろう)。”

先のAの考えを否定した、いわゆる「気質不変化説」というモノ。同じテキストを用いながらも、読み方を変えていったのです。
  “B 人の性質は統一できっこないし、疵(きず)のない人間なんていやしない。
  大昔のかしこい人達が残したのは、己を完全にせよとか、そういう話ではない。バラバラな各人が素質を伸ばして、お互いを助けて交じり合い、世間をよく織り成していくためのシステムだ。
  …というわけで、人は能力を発揮して働きさえすればそれでよし。というか、得意分野が生かせるように、人を配しなさい。”

深く頷きたくなるのも、背中に寒気が走るのも、双方ごもっとも。が、少なくともこのおじさんには、これが「風雅文采」であったらしい。

この時代の人たちは……いやこの時代でなくとも、新しい発想を展開する場合、モノの多様性を肯定する場合が多いです。(現実の裏返しかもしれないけれど、とにかくそっちの方が流行する。)
そして大抵は、「観念」よりも「現象」びいき。私たちが相手にすべきは、“実際に五感で感じられるモノゴト”の中にあると考えられるようになる。

こういう傾向は、何に由来するのだろう?…たぶん、一種の美意識なのだろうと思います。たぶんね。
時代によって言葉は変わるけど、この文化には「生々」・「活物」観がとても根強いように思える。“人間を含む万物をはぐくむのがこの世界。万物はそれぞれ様々な姿・性質をもって、いきいき動いている。そこが、愛すべきところだろう?”……と。
Bの考え方も、この感覚のひとつの変形だと捉えられそうです。

以上、とってもザックリと、朱子(しゅし)学=A & 徂徠(そらい)学=B、“「道」とは何ぞや”の議論でした。
みちぃ?何それお堅いの?「人ってなに」、「私はどうすればいい」、「世の中どうなってる」……、普段考えていないようで、実はこっそり考えていること。センシティブな夜には枕を濡らす、悩みです。なんだか元気になれる歌詞の、中身です。

さてもさても。物の見方の多様さを知ったり、自分が何を考えているか知ったり、昔の人も似たようなことを考えてたのかとわかったり……それは、胸のすく経験だなあと感じるところです。

では、またの機会に。